2012年度横浜市消防(大卒程度)「 社会の様々なルールやマナーは何のためにあるのか、あなたの考えを述べなさい。」
H24年度 横浜市消防(大卒程度)
「社会の様々なルールやマナーは何のためにあるのか、あなたの考えを述べなさい。」
の解答例、解説記事になります。まずはヒント編を読み、自身で論文の骨格を作ってみてください。
<ヒント編>
―はじめに―
今回この論題を選んだのはコロナ禍で「宴会自粛」や「公共の場でのマスク着用」、「路上飲み禁止」等々様々なルールやマナーができたことがきっかけとなります。
これらのルールやマナーは決して法律や条例の根拠があるわけではありません。あくまで個人の良心に訴えかけるものであり、順守しなくとも罰則が与えられるわけではありません。しかし最近の新聞やニュースを賑わせるのは政治家や官僚の会食や宴会、公共の場でマスクをせず暴れる一般人、街中の路上で宴会を開き大騒ぎする者達です。法的な責任は問いづらいものの、待っているのは世間の非難です。
この論題自体は平成24年度と一昔前のものです。しかし問われていることはコロナが蔓延する現代に社会人として生きる人々が考えなければならないテーマであり、かつ刺さる内容であると思っています。
東京消防庁の「デジタルトランスフォーメーション」問題とは大違いな、社会人や学生に問われるべき非常に良い問題だと思います。
1:論題分析➀―ルールやマナーとは―
まず注目するのは問題文中にある「社会のルールやマナー」についてですが、真っ先に思いつくのは法律かと思われます。しかし法律のみで論を進めるとマナー(従うか従わないかが個人の良心による)のニュアンスから外れてしまいます。ここで言うマナーとはレストランや電車内等で提示されるような法的根拠はないルールを含めて広く解釈し論を展開していくべきかと思います。
2:論題分析②―何のために存在しているのか―
次に考えなければならないのが
「それらが何のために存在しているか」
についてです。
法律やマナーは強制力の有無という点で違いはあるものの、人の行動の自由を制限する性質が共通しています。
ここでヒントとなるものが「自由を制限すると誰が得をするのか」といった面から考えていくことです。
具体例として
「交差点にはなぜ信号機が存在しているのか」
「今の時代、なぜレストランでマスクをしなければならないのか」
の2つを考えてみます。確かに赤信号で逐一止まらなければならないのは急いでいるシーンであればじれったいかもしれません。また、マスク着用に至っては法律の根拠がないため従う必要は無いように思います。
しかしこれらのような「自由の制限」が誰かに対するメリット(利益)になっているからこそ存在しているということです。
少し難しいかもしれませんがこの「誰か」を考えることが解答する上での最大のカギになります。
ウォーミングアップが終わったところで実際に書く練習をしてみます。
➀ルールやマナーとは何のために存在しているのか。
(100字程度)
②そのように考える理由。
(150字程度)
③まとめ。社会人としてルールやマナーとどう向き合うか。(100字程度)
<解答例>
ルールやマナーとは他人と場を共有するにあたって最低限意識しなければならない行動基準を示すために存在していると私は考えている。他人と場を共有するにあたり身勝手な行為が横行すれば社会は成立しなくなってしまう。現実世界だろうとインターネット上の空間であろうとそこに集う人々がなるべく平等に利益を享受できるよう制限を掛けているのがルールやマナーであると私は考える。
ただ一口にルールやマナーといっても法律として存在し、強制力を持ったルールもあればレストランや電車内におけるマナー等従うか従わないかが良心に任されているものもある。ここで注意したいことは法律の規定がないことを理由にルールやマナーに従わなくてもいいのかということである。最近の事例として千葉県館山市のレストランでマスクをせずに入店した男性の例があげられる。居合わせた客にマスクをしていないことを注意され、暴れた結果逮捕された事例である。確かにマスクを着用しなければならないという法律はない以上、その義務もないため注意される筋合いはないように思える。しかし、このマスク着用はコロナ禍であっても安全に食事を楽しんでもらおうという意図で店側が設定したマナーである。確かに逐一マスクをしなければならないのは手間ではあるが、来店した方々に対して安全に食事してもらうという利益をもたらすための行動制限なのである。
このことから、いくら法律による根拠がないルールやマナーであってもそれが決められている以上はその場に集う人々の様々な意味での利益が考慮されていると考えられる。そしてそのルールやマナーに従わないということは自分以外の人々の利益を侵害することと同義であるといわざるを得ない。先述のレストランの例のようにルールを無視した自分勝手な行動をとったとしても一時的には満足できるかもしれない。しかし結果として逮捕されたように結局は自分の利益の幅を狭める行為でしかないのである。言い換えればルールやマナーによる少しの不自由に従うことが逆に自分が得られる利益の幅を広げることにつながってくるのである。私はこれから社会人になるにあたり、先生がいた学生時代と比べて自分で考えて行動しなければならない機会が確実に増えることが予想できる。自分で自分の行動を決めなければならない分、自由に行動できると考えがちである。しかし社会の様々な場所にはそこに集う人々の利益を調整するためのルールやマナーが存在する。法律はもちろんであるが、このようなルールやマナーも多少の不自由は承知の上で順守を心掛けたい。そして自分の所属する組織を背負う社会人としての行動基準の一つとしていきたい。
<解説編>
1段落:ルールやマナーが存在する理由
他人と場を共有するにあたっての行動基準を示すため。その場に集う人々の利益を調整している。
2段落:法律に根拠のないルールやマナーの捉え方
私的に設けられたルールやマナーには法的根拠がないため従う義務がない、と考えるのは誤りである。マナーに反して自分勝手な行動をすれば周囲の人々の様々な意味での利益が脅かされる。千葉県のレストランでの事件を例に。
3段落:まとめ・社会人としてルールやマナーとどのように向き合っていくか。
ルールやマナーに反することは結果として自分の利益の幅を狭めていくことにつながる。社会人は学生と比べ自由な行動がしやすくなる分、理性を持ってルールやマナーに向き合っていく必要がある。
の構成となっています。
2:「利益を調整する」とは―不自由が生み出す利益―
ルールやマナーの存在理由として上げた
「利益を調整する」
という言葉ですが、学会などで正式に存在しているかはわかりません。あくまで私がイメージで作った言葉であることをお断りしておきます。
例えば
町内会のゴミ出しルール
レストランでのマスク着用
道路上の交通ルール
いずれにおいても個人の自由を完全に認めているわけではなく何らかの制限が加えられています。
ゴミ出しについては決められたスペースに決められた時間までに出さなくては回収してもらえず、場合によっては自宅まで戻されることもあります。これは効率的な回収作業のためとも言えますが、一方でネコやカラスのいたずらによるごみの散乱や悪臭が漂うのを防ぐ目的でもあります。つまり、決められた時間に決められたスペースに出さなければならない不自由さが逆に周辺住宅の景観を保ったり、悪臭を防止する面で住民への利益を保証しているといえます。
レストランでのマスク着用についても同様です。複数人で訪れていればお互いの顔を隠さず、会話と合わせて料理を楽しみながらレストランでの時間を過ごして位と思うのが普通です。しかし飛沫がきっかけとなりコロナウイルスに感染するリスクがある以上、自由に食事を楽しむというわけにはいきません。やはり料理を口に運ぶ時以外はマスクを着用し、会話は慎むという制限(マナー)が加えられています。この不自由さが自分や相手、ひいては周辺にいる人達の健康を守るという利益を生み出しているといえます。
道路上の交通ルール(法律)については多くの方が日々身近に感じていることと思います。赤信号での停止、車両を運転している際の速度制限、その他各種標識の内容に従うことは一見煩わしく思えます。しかしこれらの不自由があるからこそ渋滞や事故が予防されています。そのため個人が好きな車を購入し好きな場所へ安全にドライブに出かけられるのです。
ルールやマナーの存在理由は上記のような「不自由さ」が人間に対して何かを提供するためであることが分かったかと思います。今回私は苦し紛れではありますがその「何か」を「利益」と定義したことで
「不自由さが結果として利益を調整している」
との表現を考えてみたということです。
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